私は51歳で夫を亡くしました。
そこから私の人生が大きく変わり始めたのです。

特に何も考えてこなかった毎日。
近い将来のこと。
未来のこと。

子どもたちのこと。
親のこと。
私たち夫婦のこと。

夫の定年後のこと。
社宅住まいのわたしたちは
定年後はどこに住むの?

親の具合が悪くなったらどうする?
一緒に住む?

考えなくてはいけないことがたくさんあったのに
あえて目をつぶっていた。
見て見ぬふりをしてきた。

何かの折に、情報は入ってくる。

○○さんのおばあちゃんが…
○○さんのお宅では…
○○さん、~ ~ らしいよ。

それは、よその人の話。
うちは、大丈夫。
まだ、平気!

そんなふうに、なんの話もすることもなく
夫婦になって31年半という時間が流れていた。

今になって思えば、
夫が生きている間、私は守られていた。

皮肉な事に、いなくなってから気がついた。
『知らない間に私はいつも夫に守られていた』ということを。

そんなに仲がよい夫婦ではなかった。
いざこざもあり、ケンカもした。

別居したこともあった。
帰って来ないなぁと思ったら夫はマンションを借りて住んでいた。
今思えば笑い話ですが、お互い無関心な時期もありました。

義母が癌になったから、夫と一緒にいる時間が増えた。

ひとりっ子の夫を義母は大切にしていた。
東京に住んでいる両親と私たち家族は、
できるだけ一緒に時間を過ごすようにした。

まだまだ元気だと安心しきっていた。
実感もそれほどない。
けれど、会うのは入院中の病院の中が多かった。

夫が癌の宣告を受けてから、ふたり一緒の時間を持つように努力した。

夫の51歳の誕生日。
その日に、大腸癌と知らされた。
他にも転移している、ことを伝えられた。

突然、
「半年くらいしか時間がないと思います。
 今すぐ大腸を切れば、
 もう少し長く生きられます。
 
 どうしますか? 
 今スグに、決めてください」

”そんなコト急に言わないでよぉ
 即答できるわけないじゃん”

どちらからともなく強く手を握りあっていた。

その日の内に検査入院をし、
義母が入院している病院でセカンドオピニオンを受け、
3週間後、大腸がんを切除した。

手術予定時間を6時間過ぎたころ、
夫は私たちのところに帰って来てくれた。

2日後、母に元気になった姿を見せたいと、
早く会いたいと、
別病棟まで30分かけて歩き、術後の顔を見せにいった。

義母は涙を流しながら夫を迎え入れ、
3日後に息を引き取った。

夫は抜糸を始める寸前。
急遽中止し、葬式を済ませてから改めて抜糸をした。

私たちはできるだけ両親のところで一緒に時を過ごし、
ふたり一緒の時間を大切にするようになってきた。

きっと義母は私たちのことを心配していたに違いない。
何も言わなかったけれど。

生前私と過ごした最後の時間、義母はこう言った。

「ごめんね、パパ(義父)残していくことになりそうよ。
 マサキ(夫)のこともごめんね。
 今以上に、苦労かけることになる… 」

病院のシャワー室、
ホンの数分の会話。

小刻みに震える背中を洗い流しながら、
義母から嫁への最後の伝言。

「大丈夫、わたしがいるから」
その約束を深く胸に刻み込む。

夫にも、義父にも
事あるごとに言い続けた。

「大丈夫、わたしがいるから」

ホントは怖った。
いつナニが起きるかわからない恐怖。

一緒にいる時は不安そうな顔は見せない。

夫はいつも言っていた。
「はる(わたし)はいつも笑っていろ、
 それが一番いい」

義父の癌の宣告を夫と一緒に聞いてから、夫婦らしくなった。

義父から突然「動けなくなった」と連絡を受け、
車を飛ばし義父のもとへ駆けつけた。

ホントに動けなくて、
救急車で病院へ。

あっけない癌の宣告。

「カゼですね、少し様子をみましょう」
その程度の口ぶりに唖然とする私たち3人。

”へっ??
 これから私はいったいどうしたらいいの???”

ようやくお尻に火がついた感じ。
夫とこれからの事を真剣に話し合った。
いまさら…ですが。

翌朝、目が覚めて顔を洗う。

鏡を見た瞬間、
私の髪の毛は
一夜にして真っ白になっていた。

その時のショックは相当のモノ。
恐ろしくて。
カラダがブルブル、震えが止まらない。

お風呂で声をあげて泣くことが、
今できる精いっぱいの抵抗。
シャワーの音が泣き声をかき消してくれるように祈りながら。

たまたま置いてあった、黒髪用の毛染め。
誰にも見つからないように髪を直し、
平静を装う。

「大丈夫、わたしがいるから!」

 
夫は私と約束をしてくれました。
「父親を残して絶対に死なない」と。

夫はその約束を守った。

義父が逝った3か月後、
あっけなく、逝ってしまった。

こうして、4年の間に
私の大切な家族を3人見送ることになったのです。

夫がいない喪失感は
たとえようがないくらい、辛くて切なくて悲しくて…。
私はただ息をしているだけ、という時間が半年ほど流れました。

このままではいけない、
自分で何かをはじめよう、
そう決意したのです。

その時浮かんだこと、
ずっと気になっていたことが、
私の中にありました。

それは、
母の通院からはじまり、夫を見送るまでの6年間。
その半分近くを病院内で過ごし、そこで目にした数々の場面。

病院の待合室は
『死刑の宣告を受けるような場所』
だと、いつも感じていた。

たとえが悪いかもしれませんが、
私の目にはそう映った。

朝10時に予約をしていたとしても、
その時間に診てもらえることはほとんどない。
半日待つこともざらにある。

ようやく呼ばれて診察を受ける。
わずか、5分くらい?

診察を受け終わった人の様子をみれば、
おおよその察しがつく。

”検査の結果が良かったんだぁ”
緊張した顔がゆるんでいる。

”あぁ、良くなかったのね”
下を向いてうなだれている。

そうして思った。

病気を患った人はたいへんだ。
痛みや苦痛、
いろんなモノと向き合わないといけない。

そんな時は
医師や看護師、カウンセラー、そして家族。
話をしようと思えば話せる人はたくさんいるよね。

じゃぁ 
家族は?
付き添いをしている人のケアは誰がしているの?

そんな疑問が時間の経過と共に大きくなってくる。

『私は胸の内を誰にも明かすことができなかった!』

そして、ようやく夫を見送って5年半が過ぎた今
その疑問をカタチにすると決めたのです。

私は、連れ合いや家族を亡くした人のサポートをしようと。
これからそんな場面を迎える人をサポートしようと。

その辛い思いを味わった者として。
この、ホームページを立ち上げることにしました。

自分の人生を取り戻すために前向きに生きることを望む人。
今どうしたらいいのかわからない人。
深い闇の中に迷いこんで自分の力ではもはやどうにもできない人。

ホンの少し前の私のような人と一緒に自分の人生を取り戻すために。
大切な誰かを亡くしたことで
孤立する人がいなくなることを目指しています。

そのためにお茶会やイベントを開いています。

思いっ切り泣いてもいい会です。
誰にも遠慮することはありません。

過去は変えられませんが
未来はいくらでも好きなように、
いつでも創ることができる。

そんなことができたとしたら、
遠いトコロからいつも見守っていてくれる連れ合いや家族も
ホッとするのではないでしょうか。

さて、
自分の人生を取り戻すときが来ました。

ひとりだと難しいことも
誰かがいればできることはたくさんある。

自分の人生を取り戻したい!
ちょっとでもそう思った方と共に。

これは私の『懺悔からのリスタート』
これからは自分の人生を全うする生き方を選びます。

2018年 夏の終わり  吉村晴美