癌になった時に家族にできること

私たち家族は4年の間に大切な家族を3人で亡くしました。

家族できることはなんだろう?
そう考え続けた4年間でした。

家族によっていろいろな形があると思います。
できない事、できる事も違うと思います。

を宣告された時
家族への接し方
最期の時をどう過ごしたか

私たち家族のことをお話します。

残酷な癌の宣告 家族にできること

夫の癌を宣告された日は奇しくも夫の51歳の誕生日だった。

冷静になろう。

医師の説明を聞き逃さないようにしよう。

その反面
“なんでうちの家族だけこんな思いをするの?“自然に怒りがわいてきた。

夫の母、私の義母は末期で東京の病院に入院している。

「今すぐに入院してください」
夫に対し当たり前のように、いとも簡単にいう医師の冷たい言葉が胸に突き刺さる。
医師も仕事だから仕方がない。

でも… やりきれない思いを押さえるのが精いっぱいだった。
夫はもちろん、義母がショックを受けるのは想像できる。

癌の宣告を受けたその時私たちはどちらからともなく、お互いの手を握っていた。
小刻みに震える手を握りながら医師の話を聞いていた。

“わぁぁ 困った どうしよう”

義母が知ったら嘆き悲しむだろうな。

夫が、医師に「末期癌の母がいつどうなるかわからない。ひとりっこの自分が世話をする必要がある」と話すと

「自分の命とどっちが大切ですか?」と聞かれた。

“どっちも大切に決まっているじゃん‼!”
口から飛び出しそうな言葉を飲み込んだ。

もしかしたらこの病院でお世話になるかもしれない。
そんな思いが頭の中をぐるぐる回り続けている。
“冷静になれ!”
病気と医師と医療とうまく付き合っていくことが夫のためになる。

言葉は悪いが正直、人質に取られたような気分だ。
“落ちつけ!”
自分にそう言い聞かせながら、ふたり手をつなぎながら聞いていた。

1週間前、会社の健康診断に行くのを夫は嫌がった。
相当イヤだったのか必要な書類一式忘れて行ったのだ。

気がついて携帯に連絡する。
「病気の玄関前に取りに来て」と、プンプン怒りながら言った。

玄関前で夫を見たときの後悔。
しょぼくれて頼りなさげな姿をしていた。

私は仕事があったので一緒にいてあげることができなかった。

二日後、健康診断を受けた病院から連絡があり再検査を受けるよう強く言われた。
「大腸癌があるようです。他にも転移していると思われます。」

健康診断で撮ったレントゲン写真や紹介状を持ち帰った。
「余命半年ないだろう」と言われ検査をすることになった。
大腸癌は直ぐに切ることを勧められた。

でも、東京の病気に義母が入院している。
埼玉で手術をしたらしばらく会いに行けなくなる。

セカンドオピニオンを希望し、夫は義母と同じ病院で大腸癌の手術を受けることにした。
※セカンドオピニオン
患者が納得のいく治療法を選択することができるよう、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めること

手術を無事終え、歩く練習のため義母の病室までゆっくり歩を進める。
義母は安心したのか「よかった」と涙ながらに言い、ウトウトしはじめた。
モルヒネの作用で意識が遠のく時がある。

でも親子で過ごす、そんな時間をしばらく持つことができた。

手術後の抜糸の最中、義母が危篤状態になり夫が病室に駆けつけた。

最期の時を待っていたかのように、しばらくして逝ってしまった義母。
息子の事をずっと心配していた。

夫は退院する前にいったん病院をはなれ、葬式を終えた。

バタバタしていたので、本来養生するであろう時期を過ごすことができなかった。

なにか事が起きた時、家族にできることを考えはじめる。
この時重要視したことは、夫の家族、義父・義母・夫・3人の時間を大切にすること。
それが私と子どもたち、我が家の家族にできることだった。

そして、癌という病とうまく付き合っていくためにはどうしたらよいか?
家族で話をはじめた。

思えば義父も癌の宣告を受けた時そうだった。
義父は夫が癌を宣告されてから3年目に発症した。
動けなくなって救急車で病院へ運ばれた。

医師は「年取ると仕方ないんですよね。あと半年くらいかな?」
“やめて~”
“本人がいるんだから今言わないでよ!!”

義父はしょげ返っていた。
そして私に「すまん 面倒をかける」と一言言ってだまりこんでしまった。

義父に対しあまりにも残酷すぎる癌の宣告を受けた翌朝、私の髪の毛は一夜にして真っ白になっていた。

癌患者の家族にできることとは?

夫と結婚し3人の子どもに恵まれ家族になって31年間。

5人家族 最後の4年間を癌というモノがいつもつきまとう。
ここに凝縮された時間があったのです。

さて、我が家はどうしたらよいのだろう?
私たち家族にできることとは なんなのだろう?

3人ともと言う病に侵されたけど、患部も痛みのあらわれ方も辛さもまったく違う。

義母はむくみにひどく悩まされた。
特に足がむくむので、さすってあげるととても喜んでくれた。

病院のシャワーで身体を洗ってあげる。
綺麗好きな義母だったので歯磨きや着替えをこまめに手伝い、清潔を心がけた。

義父は入院してからさみしがり屋になった。
電車が遅れて約束の時間に間に合わないと私のことをひどく心配した。
泣き出すことさえもあったほどだ。
だから遅刻はできない。

不安にさせないよう気をつけた。
痛くて眠れない時は手を握ってあげると、安心したように目を閉じた。

夫は自分のことより両親のことを気にしていた。

私が義父とあまり仲良くなかったこともあり、「オヤジより先に絶対に死なない!」と誓約書を書いてくれた。
私が「書いて」と言ったわけではなかった。
そして、実際に約束を守ってくれた。

でも義父が亡くなる時、私たちは父娘だと間違えられるほど仲良しになっていた。

夫はまわりの人たちが気を遣いすぎていることを心苦しく思っていた。

私は夫に対し鬼嫁みたく弱音を吐かぬよう厳しくしていた。
「ゴルフに行きたかったら仕事してよね」

夫は自分の身体と相談しながら仕事をしていた。

ひとくくりにはできない癌というモノ。
その人によって接し方も違ってくる。

家族にできることもおのずと違ってくる。

家族って一言で言うけど いろんな形がある。
しあわせな家族 仲が良い家族 笑顔と笑いが絶えない家族
友達家族 個を尊重する家族
無関心な家族 束縛する家族 依存しあう家族 などなど

我が家はと言えば 家族旅行もほとんど行ったことがなく イベントもあまりない。
誰かが家族で遊びに来ることもなく、他所のお家にみんなで遊びに行くこともめったにない。

夏休みに岐阜の実家にみんなで帰省するのが楽しみだった。

夫は仕事や付き合いで家をあけているのが当たり前。

子どもたちと過ごす時間はめったにない。
子どもたちは幼いころよく夫に言っていた「また来てね」と。

特別不満もなければ、特別しあわせを実感することもない。
可も不可ない家族。

そんな家族に一大事が起きた!
癌 ガーン ガーン ガーンと3連発。
そして向き合うようになった。

今まで経験したことがない状況に右往左往する毎日。

でも、一緒に食卓を囲む時間ができた。
散歩がてら近所のスーパーに買い物に出かけた。
当たり前の日常がとても大切に思えた。

あとどれくらい一緒にいられるのだろう?
寝顔を見ながらそう思ったことが何度もある。

そして、息をしているか確かめることが私たち家族の日課になった。

癌、最期の時間 家族にできること

病院の選び方も悩み、考えさせられた。

義母は家から30分程の大きな病院に通っていた。
看護師さんは、忙しいのはわかるけど事務的で、お願いしてもなかなか来てもらえなかった。

1週間ぶりに訪ねたとき、義母が「ご飯を食べない」と看護師さんから言われた。
理由を聞くと「1週間歯磨きをしていなくて気持ちが悪いの。だから食べたくないのよ」
義母はそう言った。

ベッドの中だから簡単な歯磨きしかできないけど、マウスウオッシュで口をすすぐだけでも喜んだ。

人はいても手は足りない。
看護師さんが忙しすぎるのは重々承知だ。

でも家族としてはできる限りのことをしてあげたいと思う。
して欲しいと願う。

そんなこともあり、義父が入院する病院選びには気を使った。
最初は義母と同じ病院に入院したけど、期間がきたら転院しなくてはいけなった。
高齢ということもあり手術もできないので病院探しはたいへんだった。

夫の同級生に女医さんがいて、近くで評判の良いホスピスを教えてくれた。
※ホスピス 緩和ケア(終末期ケア)を行う施設のこと。

ホスピスは病床も限られていて入るのは難しいと言われていた。

入院するために最初に夫と私の面談がある。
その面談も順番待ちだった。

電話で申し込んだとき、運よくキャンセルが出て10日後面接を受けることができた。
面接では規則やルール等の説明を受けた。

義父が入院できる時は、誰かが亡くなった時。
部屋が空かないと受け入れてもらえない。
そして、空いたという連絡があるとすぐに回答し翌日入院しなければならない。
保留すると、違う人に権利が渡ってしまう。

最初の病院から違う病院に転院した3日目に運よくホスピスから電話がかかってきた。

また転院させるのですか? しかもホスピス? お医者さんになじられながら介護タクシーでホスピスに入院。

病室も10倍ほど広く明るい光が降り注ぐ。
ベランダから車いすに乗り、手入れされた庭を一緒に散歩する時間を義父は楽しんだ。

義母とは違う入院生活を気難しい義父はとても喜んでいた。
もちろんサービスも支払う額もまったく違う。

最期の時を穏やかに過ごして欲しい。
私たち家族はそう望んだ。

夫はかかり付けの病院を家の近くで見つけるよう言われていた。
急変したら対応できないという理由だった。

義父を見送ってから3か月後、夫はあっけなく逝ってしまった。

その間あちこちの病院に行った。
九州・名古屋・都内・群馬。

1週間ほど湯治に行ったり、岩盤浴もした。
漢方薬や玉ねぎの皮を煮出したものを飲む。
温熱療法・理学療法。
NK細胞・重粒子線治療。

良いと言われれば試してみたいという夫。

いろんな人が好意で調べてくれる。
情報を教えてくれる。

保険のきかない治療には恐ろしくお金がかかる。
私が治療を渋ると「冷たい女だ、ケチだ、ダンナを大事にしない、罰が当たるぞ」と言われた。

でも、医者は診察をする前に顔を見ただけで「無理だ」と言う。
その時の夫のがっかりした顔を見るのがいたたまれなかった。
その言葉が怖くて、辛くてしかたなかった。

夫は亡くなるすこし前 クリスマスの頃 大好きなゴルフコースを18ホールまわり、翌日動けなくなった。
家から車で5分の大きな病院。

入院をすすめられたけど、亡くなる3日前まで家で家族と一緒に過ごした。
かわりに点滴をするために病院に連れて行くのが日課になった。

黄疸(おうだん)がひどくなった顔を見ると急に死というものが身近に感じられた。
身体の臭いも死が近づいていることを知らせていた。

トイレに行くのが辛くなり、「病院に連れて行って欲しい」夫はそう言った。
もうココには帰ってくることはできない。
ふたりでそんな話をしたことを思い出す。

たった3日間の入院生活。

100人以上の方がお見舞いに来てくれて、
楽しそうに話をしていた。
見舞い客があまりにも多いので、「空いている部屋を待合室かわりに使っていい」と言われた。
他の人の迷惑になるからだ。

最期を見届けたとき病室には17名程いた。

呆然と立ち尽くす私に「即、葬儀屋さんに連絡して」と。
せかされ慌ただしく病院を後にした。

ホスピスでは「亡くなったあとも耳は聞こえているから話しかけてあげて」と言われ、ゆっくりお別れができたのに。
ココではそうも言ってられないようだ。

お葬式の準備もその場で決めなければいけない。
迷ってなんかいられない。

説明される言葉も耳に入らない。
悲しむ間もなく機械的に処理された感じが悲しかった。

という病気 最期の時 どこで過ごすかで状況も違っている。
家族にできることはなんだろう?
お別れの仕方も違ってくる。

4年の間に2人見送って覚悟はできていたはずなのに、想像していたものと現実はまったく違った。

いるはずの人がいない毎日は辛くって悲しくって寂しくって切なくって、いろんな気持ちがごちゃまぜになっていたたまれなかった。

まとめ

当たり前だった日常が、ある日突然 当たり前でなくなる瞬間を迎えることもある。
当たり前の中にしあわせというものが隠れていることを知ったときあなたはどう思うだろうか。

気づかなかった。
気づけなかった。
気づいたのが遅かった。

という病は患部だけにとどまらず、いろんな部分をむしばむことがある。
当事者も身近にいる家族をも恐怖に追いやることもある。
その時どうするか?

嘆き悲しむこともある。
イライラすることもある。
不幸を一身に背負ったように思うことある。

限りある命と向き合うとき、どのように付き合っていくかを考えるきっかけを与えられた。
病気と家族とその他いろんなこととどうつき合うか どう向き合うか 考えさせられた。

心と身体はつながっている。
心が重く沈んでいると身体も動けない。
誰かが誰かをサポートしていく。

”泣きたいときは思いっきり泣ける場所があればいいな”
”口に出すのをためらうことも吐き出す場所があればいいな”
何度もそう思いました。

私たちは癌というものを通して家族にできることを考えつづけました。
あの頃は必死でしたが今思えばもう少し何かできたのではないか?と思い悔やむことも正直あります。

家族にできることは限られているかもしれない。
でも、癌という病に向きあったからこそ家族としての時間が持てるようになったのも事実です。

最後に、癌と戦っている方はもちろんですが、その家族や身近な方のケアやサポート体制か何かがあれば負担が少なくなるのではないか。
今はそう思います。

看病する家族が倒れたら元も子もありません。

今回は我が家のことを書かせていただきました。
癌と向き合ったとき、家族にできること 参考になればさいわいです。

  • 家族で話し合い協力しあう。
  • ひとりでがんばらない。
  • 一緒にいる時間を大切にする。
  • 無理せず自分ができることをする。
  • 泣きたいときは泣いてもいい。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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