最期を看取る場所・最期の言葉を伝えることが出来なかった後悔

命のともしびが消える。

命が終わる時を静かに見守る。

人生の最期の時を迎える場所。

最期の言葉を思い出しました。

 

最期の意味とは?

 

最期とは

 

命が終わるとき

死にぎわ

臨終

のことです。

 

わたしは正反対の最期の時を経験しました。

 

義父を見送ったときと、

夫を見送ったとき。

 

おわかれのしかたが、こんなに違うなんて。

想像もしていませんでした。

 

遺族と病院側の温度差。

最期の意味が違う感じがぬぐえません。

 

理想のおわかれの仕方はわかりませんが、

わたしは夫の最期の時を思い出すと今でも後悔しています。

 

最期のとき、ホンの少しでもふたりっきりになりたかった。

 

いまでも悔やまれます。

 

 

義父の最期の場所・最期の言葉を伝える

 

義父は都内のホスピスで最期の時を迎えました。

 

光がいっぱい差し込む、広くて快適な部屋。

大きな窓からきれいに手入れされた庭が見える。

 

わたしはベランダで洗濯物を干し

病室から車いすで庭に出て

義父と一緒に草花をながめながら散歩をしました。

 

週3日しか義父のそばにいてあげられない。

 

わたしがいないときは、

いつも以上にホスピスの人たちが義父のことを気にかけてくれました。

 

義父が癌になり入院するまで、わたしは義父がとても苦手だったのです。

 

義母はそれをよく知っていて、最後に会ったときわたしにこう言いました。

「ごめんね。パパをよろしくね、おねがい」

 

それが義母がわたしに、

義父のことを話した最後の言葉。

 

義父もわたしが苦手だったはず。

 

でも、わたししかいない。

そう思ったらしく入院する時「世話をかける」そう言い頭を下げたのです。

 

すこしずつ仲良くなって。

 

ホスピスの人たちはわたしたちが父娘だと思っていたみたい。

 

それを聞いて、夫はいじけてました。

 

義父の身体がだんだん細く小さくなっていく。

 

わたしが帰るとき涙を流す。

 

東京にいる時は病室に簡易ベッドを入れてもらってホスピスに泊まることも。

 

寝付くまで手を握っていて欲しいと言う。

 

夫の手ではダメ、という義父を見ながら先生たちも笑ってました。

 

最期を迎えるときもそう。

 

呼吸が細く、かすかになっていく。

 

わたしの手を握る力が弱くなる。

 

先生が臨終を告げる前、

一瞬目をあけてニコッとして「ありがとう」とひとこと。

静かに息を引き取り逝ってしまった。

 

「まだ、耳が聞こえているから話しかけてあげて」

と先生が静かに教えてくれた。

 

夫もこどもたちもそれぞれがお別れをすることができた。

 

親戚が駆けつけてくれて、それぞれお別れすることができた。

 

午前1時近い時間。

子どもたちはホスピスの2階の宿泊施設に泊まり、

わたしと夫は朝まで義父と一緒にいた。

 

翌朝、ホスピスでお世話になった人たちに見送られながら、ホスピスを後にした。

 

約半年、最期の時まで過ごした場所。

 

命が終わる時、

みんなで最期を看取り、静かに語りかけ見送った。

 

夫の最期の場所・最期の言葉を伝えることが出来なかった後悔

 

夫は亡くなる3日前まで家で過ごした。

 

夫は「病院に連れて行って欲しい」

「もうココには帰ってこれそうもない」と言った。

 

病院に着いたらその場で入院となった。

 

わたしは先生に聞いた。

「あと何日ですか?」

 

先生は驚いたように「どうしてわかるの?」と言う。

 

夫の身体からにおいがしていた。

 

3ヵ月前義父を見送る前のにおい。

 

そのことを先生に言うと、

「あした、もって、あさって」という答えが返ってきた。

 

木曜日の午後入院して、

その日の夕方からたくさんの人がお見舞いに来てくれた。

 

もうすぐ命が終わりを告げる、

そんな様子はまったくない。

 

よく笑い、よくしゃべっていた。

 

金曜日も朝からお見舞いの人がたくさん来てくれて、

「こんなにみんなが来てくれて盆と正月がいっぺんに来たみたいだ」

と冗談を言えるほど元気だった。

 

夜になると自分の足でトイレに行けなくなった。

 

うつらうつらしながら、目を覚ますとニコッと笑う。

 

土曜日も朝からたくさんの人がそばにいてくれて

お昼すぎ、息を引き取る前も病室には20人程いてくれた。

 

さみしがりやだったから、みんながいてくれてうれしそうだった。

 

その時は突然来た。

涙が止まらないわたしを長男が支えてくれていた。

 

病室から出るように言われバタバタと先生が入ってきた。

 

事務的に臨終が告げられる。

「葬儀屋さん、早く呼んでください」そう言われた。

 

「待って、まだ耳が聞こえているんだから…

  ホスピスの先生が教えてくれたもん」

 

わたしの願いは叶えられず、簡単にかたづけられてしまった。

 

命がある時は尊重されても、

命が終わったら、きっとただの物体。

 

モノ扱いされたようで悔しかった。

 

義父と夫では最期を看取る場所が違った。

 

最期息を引き取るときも正反対だった。

 

夫の耳に届いた最期の言葉は

「待って、まだ耳が聞こえているんだから…」

というわたしの悲鳴だったと思う。

 

きっと苦笑していただろう。

 

本当は静かに見送りたかった。

そばにいて「いままでありがとう」と言いたかった。

 

最期を看取る場所・最期の言葉

わたしにはとっても大切だったのに

 

後悔と懺悔。

今もまだわたしの中に残っている。

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